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『バベルの塔』展、『ベルギー奇想の系譜』展を見る


フランドルの絵画が今年は多く紹介されている。「バベルの塔」は建設中の塔を描いたバージョン。描き込みの細かさはシュールレアリスム的である。


共に展示されたボス「放浪者」「聖クリストフォロス」が収穫。ボスも有名な作品が毎年のように来る。これも描き込みの細かさがシュール。いつ見てもいい。


宗教改革500年なので、ボスも親交深かったルター肖像何点かも来日。これも貴重。


「奇想の系譜」は地味な企画だが、ボスの工房作品が何点かある。ボス三昧である。


デルボーもマグリットもあるが、オマケな感じ。ベルギー象徴派をもう少し見たかった。図録を見ると、東京展が最後なので多くの作品が帰ってしまったようだ。これは残念!

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 アドルフ・ヴェルフリ展を見る


東京ステーション・ギャラリーのヴェルフリ展は、アール・ブリュットの作家ヴェルフリの大規模な展示。青年時代に来たゾンネンシュターン以来のアール・ブリュット作家の紹介である。


精神病院で後半生を過ごした人物であるが、描かれたものの中にキリスト教的イメージが強い。彼の「作品」が保存される機会を得たのは、そのイメージによるところが大きいと感じた。


さらに、同じスイス出身のユングが傾倒した、マンダラのイメージが繰り返し描かれている。フラクタル幾何学の創始者マンデルブロは「マンデルブロ集合」を既視感のある形態と言い、アーサーCクラークは「眼をつぶって瞼を押すと見える形」と語っている。ヴェルフリも同じものを見ていたのだろうか?


さらに、マンダラのイメージはビンゲンのヒルデガルトにつながっている。こうした世界イメージは抑圧されたイドの領域に胚胎していて、瞑想や狂気によって「意識の昼」が眠り込むと現れるようだ。


東京都障害者美術展ももっと重視されるべきだと、改めて思う。


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「これぞ曉齋!」展を見る。


Bunkamuraの曉齋。有名なゴールドマン・コレクションだ。


真面目な曉齋よりも漫画家としての曉齋が面白い。絵がうまいからこそ、色々遊べるのだ。


ツイッターで話題になっている「地獄太夫」が素晴らしい。着物の柄が地獄模様。


曉齋のスポンサーのひとつは飴の榮太郎本舗で、作品を100円で購入したという。


宮尾登美子「序の舞」によると、十代で修行中の上村松園が博覧会に出した作品を、英国コンノート侯が20円で購入。母親は2円の間違いと思ったが、本当に20円で仰天したとある。師の松柏も「破格の画料」と言ってるので、100円が如何に高価かわかる。


有名な建築家ジョサイア・コンドルをコンダーと表記していたのが気になる。英語発音はコンダーでも、日本で普及しているのはコンドルである。彼は鹿鳴館を始め、多くの豪華建築を設計したが、暁斎の弟子としての顔も持つ。


お土産に榮太郎飴、地獄太夫缶入りを購入。

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『スケーエン:デンマークの芸術家村』展を見る。


西洋美術館の新展示室で行われているミニ展覧会。


精緻な鉛筆画が見どころ。写真がいくら進歩しても「描き出す」という行為は意味を失わないと実感する。


薄型ウオッチ「スカーゲン」の名前の由来。デンマークデザインが優れているのは、基礎に「ものをよく見る眼」があるから。それに気づかせてくれる。


我が家のダイニング家具はバブル崩壊の頃購入したデンマーク製。しっかりしている。

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『ティツィアーノとヴェネツィア派展』を見る。


都美術館。「フローラ」が目玉。「ダナエ」も。ティントレット「レダ」も来ている。


しかし、作家も人物も不明の作品が多く、少々締まりのない展示。


ティツィアーノのデッサン力をミケランジェロが批判したという説明に納得?



『スポットライト』を見る。(*^o^*)


カトリック神父が少年に性的虐待をしていたという事実をボストン・グローブ紙が暴いた実話映画。


伝統が生き残る街だからこそ、カトリック教会が隠然とした権力を持っていたボストン。そこで神父の少年虐待事件を調べるうち、記者は聖職者全体の6パーセントが小児性愛者だという事実を知って驚く…。


今やローマ法王が教会の重大課題として性的虐待を挙げるようになった。それはこうしたメディアによる告発があったからだ。


2016年のアカデミー賞作品賞。日本の映画人にはできないことだ。

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難問への敬意 地下鉄サリン事件22年目の日に


1990年代を特徴づける最大の社会的事件は何か、と問われたならば、「オウム真理教による地下鉄サリン事件」と答える人が多いだろう。それほど、私たち同時代人にとって、あの事件は衝撃的であった。ただし、衝撃的であったのはオウムが「想像もできない事件」を起こしたからではない。誰もが「空想はするが、まさか実行しようとは思わない」事件を起こしたからである。


 思春期には、誰だって親と喧嘩して「殺してやりたい」ほど悔しく思うものだ。定期試験ができそうもない時には「学校が燃えちゃえばいいのに」と思うし、盛り場で不良にからまれた時には「機関銃があれば皆殺しだぞ」と心の中で啖呵を切る。それらは人間として当り前の心理である。しかし、人間には、何らかの原因で心の中の空想を抑えられなくなることがある。すると、それは「妄想」となって人間を襲い、犯罪行為を実行させ、本人とその周囲の人間を破滅に導く。そういう場合でも、多くの「犯罪者」は「魔が差した」と感じ、後悔する。オウムが人々を驚かせたのは、こうした「空想の壁」をやすやすと乗り越えて毒ガスを作り、軍用ヘリを買い、機関銃の量産を計画し、気に入らない人間を抹殺したからである。


 評論家も普通の主婦も、人々の疑問は同じである。「なぜ、高学歴の信徒があんなに大それた犯罪行為を行なったのか。」答えのヒントは、裁判やインタビューで若い出家信徒のほとんどが語る「尊師はどんな疑問にもたちどころに答えてくれる。すごいと思った。」という言葉の中にある。


 人生に疑問はつきものである。しかも、「宇宙の神秘」から「明日の自分」に至るまで、「わからない」ものほど大きな価値をもっている。そうした「わからない」ものを軽く解き明かしてしまう「指導者」に出会ったら、深く悩んでいる者ほど強く惹きつけられることは想像に難くない。


 しかし、よく考えると妙である。頭脳明晰な者がなぜ難問を自分の力で考えないのか。なぜ、自分に関して深く悩んでいる問題の解決法をたやすく他人に尋ね、安直な即答に満足しているのか。なぜ、まだ若く人生経験も少ないのに「解脱」できてしまうのか。要するに、学歴の高低などに関係なく、「どんな難問でも必ず答えが見つかる。」「自分で考えてもわからなければ、人に聞けばよい。」と考えているところが最大の問題なのだ。


 私の専門は哲学だが、思想史を眺めると必ず繰り返し登場する難問がある。「宇宙の大きな秩序と人間の行動規範はつながっているのか」「人間は何ものにも制約されず自由に生きられるか」「人間も含め、全ての存在に意味はあるのか」などの問いは、古代から現代まで、宗教から最新の科学的な哲学に至るまでの知によって、ありとあらゆる時代と場所で問われてきたのである。時折、自称「思想家」が「私はこんなすごいことを思いついたぞ!」と叫ぶことがあるが、よく聞いてみると、その「新発見」は仏教の教義に入っていたり、17世紀の大哲学者の説を焼き直しただけであったりする。自称「思想家」氏は単に不勉強で、先人の教えを知らなかっただけなのだ。このこと自体が「難問」への取り組みがいかに困難かを教えてくれる。


 難問には近づくための道のりが必要だ。それゆえ、難問は豊かでありうる。さて、われわれは、もうお手軽に、簡単に考えるのをやめようではないか。難問にぶつかった時には、自分の力で悩もうではないか。そして、悩むことの意味自体を重んじ、悩みながら生きていく強靭な精神を鍛えようではないか。思考停止・ネット依存の人々があふれる今、「知に携わる者の使命は難問の擁護・難問への敬意である」と、私は敢えて宣言する。


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『ミュシャ展』を見る


新美術館のミュシャ展。まず「スラブ叙事詩」の巨大さに驚く!

全20点の労作に声を失う。

後半のアールヌーボーのミュシャが霞んでしまうような圧倒的迫力。


19〜20世紀の東欧に生きる人々の、過去への望郷と未来への自立の熱望を表現した、渾身の力作。

「アレクサンドル・ネフスキー」から「悪童日記」に至るまで、彷徨うスラブの魂を集約した作品である。


チェコアニメ「アマールカ」のイメージがスラブの伝統的女性像と知る。白い衣装に頭の花環。

男女の様々な被り物に民族の多様性を知る。

ジョーカーはスラブ衣装だったのか?



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きたやまおさむ『コブのない駱駝』を読む。


ドクター北山修がミュージシャンきたやまおさむの自伝を書いた。


少し前にアルフィーのラジオ番組に出た北山の2時間に及ぶ話が面白く、番組で薦めていたこの本を買った。


個人的に気になっていたのは、分析医としての自分と親友加藤和彦の自殺の関係。おそらくそれを振り返る意図もある著書なのだろう。


自分を振り返るという行為を、前向きに考える人の読むべき書だ。「潔く去っていかない」という主張に共感。


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