こんなのどう?
『ロンメル』と『パットン最期の日々』を見る。
宿敵二人の最期を描いた映画を見比べた。
ロンメルはヒトラー暗殺の「ワルキューレ作戦」関与を疑われ、詰め腹を切らされた。パットンはアイゼンハワーに解任された後、帰国前日に交通事故で頚椎を骨折し、病院で死んだ。どちらも軍人としては不名誉な死に様である。猛将の最期は結局、政治との対決で敗れたのだった。それでもなお、軍人が政治を支配した日本よりは活躍できたのかもしれない。
『コン・ティキ』を見る
少年時代に読んだ ヘイエルダール『コンティキ号漂流記』の映画化。
ダメ。
原作の、フライパンに飛び込んでくるトビウオ、真夜中の謎の発光生物など、面白いエピソードが平凡な映像に矮小化されている。サメとの戦いなど、どうでもいい!
クストーの『沈黙の世界」の偉大さがわかる。
『ル・コルビュジェの家』を見る
アルゼンチン映画。原題は『隣の男』。
安部公房「友達」のような、都会生活の理不尽さがテーマ。
ル・コルビュジェの歴史的建築に隣家があるのか、真相はわからない。
ステキな家だ。しかし、住んでいるデザイナーは最低。そこだけリアリズム。
美大生の椅子作品にダメ出しする様子もリアル。理論もないくせに、自分を偉いと思っている。
結局テーマは何だ?
『タイピスト』を見る
バルテュス展を見る
『妖怪ハンター 稗田の生徒たち(1) 夢見村にて』を読む
『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記(1)』を読む
『北方の王者 高田屋嘉兵衛』を読む
西遊妖猿伝 5 諸星大二郎
待望の西域篇5が出た。
舞台は天山山脈の麓、東突厥と西突厥、ソグド人とキリク族との関係が描かれる。
背景にはゾロアスター教と仏教、道教。
アンソロジー『遠い世界』には異星の砂漠に点在する架空の諸民族が描かれているが、諸星の作品を読み続けていると、どれが空想でどれが歴史的事実かわからなくなってくる。
よくできた映画のマット背景画のように、境界を意識しないうちに現実とフィクションが溶け合い、交替していく。
それにしても、今は存在しない消えた民族「突厥」「ソグド人」などの実体化には驚く。
発達障害?平賀源内
『平賀源内』芳賀徹(朝日評伝選1981朝日新聞社)を読んだ。
前項の最上徳内周辺の時代を調べるためである。
源内の日常や身辺を見ると、ADHDとアスペルガー臭がすごい。
いつも頭がオーバーヒートで、思いついたらすぐ行動に移さないと我慢できない。
自分ではよくわかって話しているつもりだが、他人が聞くと何のことだかわからない。
これが源内の生涯だった。
入獄の原因となった有名な刃傷事件も、周囲に理解されない焦りから統合失調症を発症した結果と考えられる。(例の犯罪心理学者小田晋氏が、記録に残る天才の精神疾患と犯罪が結びついた最初の例と述べている由)
最期まで「フリーは自由でいい」と言いながら、「フリーなので金がない」と嘆いてばかりいたというのも、矛盾を同居させて生きていくしかないアスペ流の特徴だ。全く同感、共感する。
源内は博物学(本草学)で業績を残したかったようだが、その自然哲学を語る暇なく逝ってしまった。
昭和の初めに全集が出ているだけ、徳内よりは恵まれているのか。
最上徳内研究
最上徳内 / 島谷良吉 著 吉川弘文館, 1977.8
ラファエル前派展
大鶴泰弘について
映画の中の哲学7では、1964年の日活作品「月曜日のユカ」を取り上げる。出演。加賀まりこ・中尾彬。監督は中平康、脚本が斎藤耕一と倉本聰、音楽が黛敏郎。そして美術監督が大鶴泰弘だった。大鶴氏の紹介記事がネットに見当たらないので、ここに記しておこう。
大鶴泰弘氏は福岡県久留米市出身。旧制明善中学に学ぶ。同級生に作曲家中村八大がいた。
多摩美術大学油絵科卒。川口軌外らに師事。
日活では中平康と同期。以後公私ともに長く交流する。
退社後ワーナーブラザースに移って香港などで制作に従事。
帰国後、いくつかの映画作品に関わるが、自給自足を目指して千葉勝浦に移住。
ユニークな体験をダヴィッド社『私の田園生活』などで紹介する。
私は70年代半ばの大学時代、大鶴氏が始めたレストラン『加哩屋』でアルバイトをした。仕事の合間に氏が出題する映画クイズなどで制作側の視点に触れ、楽しかった。
彼は私の映画研究における師匠の一人である。